語録&解説
「夏になればお客さまはくるさ。もう少しの辛抱だ」 「前のオーナが手放したのは、くるはずの夏に来なかったからじゃないですか?」 「夏の予約は何としてでもとる」 「必ずとるとしても、それまでみんなを引き留めておけますかね」 「みんなを信じている」 「信じているだけでは商売になりませんよ」
解説
来るはずの夏にお客さまが来なかったという鋭い大貫徹夫(前田吟)の予言は、あたるのですが、大貫はもっと前の段階を心配していました。目先の資金繰りのことです。このままでは、月々の支払いにも滞ってしまう。しかし、面川清次(田宮二郎)は、自らの戦略を変えようとはしませんでした。
しかし、そんな面川も、他のスタッフたちが、東京の友人たちに義理で泊まりに来てもらおうとしている事を知って、団体や個人に拘っている場合ではないと反省し、大貫と共に団体予約の営業に出かけるのでした。
このへんの面川は、商売人として非常に甘いところです。ヒューマンすぎるのです。スタッフの好意くらいですぐにぐらついてしまう。そんなことでぐらつくくらいなら、もっと早くから団体予約の営業に行くべきだったのです。ようは甘いわけです。しかし、この甘さが、ギリギリのところで自らを救うことになるから面白いものです。
面川のやっていることは、大変な遠回りです。しかし、この遠回りが重要であることは、自分が宿泊施設の経営者になって、しみじみ思いました。経営は、順調であるにこしたことはないですが、順調すぎると大切なものを失ってしまいます。
一緒に苦労したスタッフは宝です。海のものとも山のものともつかない時分のことを知ってるスタッフこそは宝物です。全くの下積み時代から知っているし、苦しい時代を乗り切ってきて、過去からの記憶の重みを共に背負っているスタッフほど貴重な存在はいません。彼らは、不景気でうまくいかなくなれぱなるほど、また、年を取れば取るほど、たよりになる。
『十八史略』の東漢光武帝のところに「貧賤ノ交ハリハ忘ルヘカラズ、糟糠(そうこう)ノ妻ハ堂ヨリ下サス」というのがあります。「糟糠の妻」とは、貧乏でかすやぬかしか食うものがなかった頃の妻である。そういう妻は自分が偉くなって御殿に住むようになっても、側において大切にせよという意味です。
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