ブルーベリー 旅に出たい人へ
  旅人的生活の方法

脱線

 前回の連載では旅・旅行・出張について比較してみました。誤記訂正と再確認の意味も含めて、再び3つの比較を書いておきます。そして今回は、旅について掘り下げて考えてみたいと思います。

旅 ・・・・非日常・・・・必ずしも移動をともなわない
旅行・・・・非日常・・・・移動をともなう
出張・・・・日常 ・・・・所用のための移動

 電車や飛行機や車で移動したりすると、何か旅をしたような気分になります。そのような錯覚に陥ることは、危険なことかもしれません。移動すれば旅をしたような気分になる。けれど、この旅をしたような気分になることによって、本当の旅を知らないまま一生を過ごしてしまう可能性もあるからです。

 ほんらい旅というものは、とてつもなく面白く、感動的であり、楽しいものですが、それを知らないまま、「旅って、こんなものか・・・・」で終ってしまう人が多いのは、移動を旅とイコールに考えているからです。このような勘違いによって、旅の楽しさ面白さをついに理解できずに終ってしまう人が多いのは、とても残念なことです。
 しかし、旅というものは、一般の人が考えている以上に面白く、皆さんが想像している感動のレベルを遥かに超えているかもしれません。「旅って、こんなものか・・・・」と思っているうちは、本物の旅をしてない可能性が高いのです。

 では、どうすれば本物の旅に出会えるのでしょうか?
 それは、日常から脱出することです。

 そのためには、自分に正直になり、自分自身を知る必要があります。それによって、はじめて日常から脱出することができるからです。でないと本人は日常を脱出したつもりでいても、日常から逃れられないでいて、せっかくの旅をつまらないものにしている場合があります。
 そうなると、どんなに奇想天外な旅をしたつもりでも、冒険をしたつもりでいても、日常から一歩も出てなかったりして、旅に限界がでてきます。
 では、どうすれば日常から脱出できるでしょうか? ヒントをいうと「移動」という発想を捨てることです。移動ではなく「脱線」をこころがけることです。

 子供のころを思いだしてみましょう。小学校に入ったばかりのころに1番楽しかったことは何でしょうか? 人によって違うかもしれませんが、たいていの人は、遠足や運動会が1番楽しかったのではないでしょうか?
 遠足が楽しいのは、移動ができるというよりも、退屈な学校の授業から解放されるからです。つまり授業という日常から「脱線」できるから楽しい。運動会も同じです。この二つが面白いのは、繰返される日常の退屈さから少しでも離れることができるからです。

 中学校時代を思いだしてください。中学校時代で1番面白かった授業はなんだったでしょうか? それは一人ひとりみんな違うかもしれませんが、私の経験を言えば、教科書から「脱線」する授業が1番面白かった。
 具体的に言うと私の場合は、数学の先生が1番面白かった記憶があります。けれどその先生の御専門は地理でした。ですから数学の勉強を教えながら、いつも地理の話に脱線してばかりいました。そのために授業はなかなか進みませんでしたが、授業は本当に面白かったです。
 これは、先生が数学という授業の中でいつも私たちに旅をさせてくれていたからです。数学という日常の中から飛び出して、地理という非日常的な世界を先生が作ってくれ、習っている数学が、どのように役立つか教えてくれたからです。
 おかげで、かんじんな数学の講義は進まなくて、その先生のクラスの平均点は、全校の中で1番低かったのですが、そのかわりにみんな数学が大好きで、のちに大学で数学を専攻する人もでたくらいです。

 クラスの数学の成績は悪い。
 でも、みんな数学が大好き。

 これは矛盾しているようですが、決して悪いことではないと思います。一時的に数学の成績が落ちても、旅をするように数学を学んだほうが、長い人生において絶対に得だと思います。そう考えると若いころから、成績にこだわりすぎた授業をすることに疑問がでてきます。

 さらに私の体験を語らせていただくと、私は小学3年生の時に、22歳の若くて脱線の多い先生のクラスで勉強しました。その先生は変わった先生で、どんなことでも熱くなると止らなくなる性格で脱線ばかりしていました。
ある日のことです。ホームルームの時間に先生は
「何か先生に聞きたいことがないか?」
と言ってきました。
私たち生徒は、何気なく、日本の歴史について知りたいと口走ると、先生は日本史についてわかりやすく解説をし始めました。平安時代のころになると、藤原氏という貴族の話になり、藤原という友達に
「お前の先祖が出たぞ〜」
とはやし立てたりして、大いに盛り上がったりしました。そうなると先生は、だんだん熱くなってきて、算数の時間や国語の時間まで踏み込んで、歴史の講義を続けたのです。そして、あげくの果てには、給食の時間まで、歴史の時間となってしまい、みんな熱心に歴史の授業をうけたのです。
 不思議なことに歴史という授業は、教科書を使うと全く面白くありません。けれどホームルームの時間に脱線して行なった講義は、血湧き肉躍ります。なぜならば、脱線という行為の中に「旅」の要素が濃厚に含まれているからです。

 くどくなりますが「脱線」について、もう少し掘り下げて考えてみましょう。

脱線とは何か?
 どういう状態を脱線というのか?
 脱線するには何か必要なのか?

 御答えします。
 脱線するには線路が必要です。
 線路があるから脱線が可能になります。

 このように書くと
「俺はレールの上を走ってないぞ」
と言う人がいるかもしれません。そういう人も地面の上に立っているに違いはありません。そういう人は脱線というより
「離陸」
を考えてください。離陸するには、自分がどういう地面の上に立っているかを考えてみると「離陸」がしやすくなります。離陸という行為は、地面があるからこそ可能だからです。つまり自分がどうい地面に立っているかを、できるだけ冷静に正直に考えてみる必要があります。それができてないと正確な離陸ができません。では、どうすれば、自分が立っている地面について知ることができるのでしょうか?

 ここで私の話をしたいと思います。

 私は10歳くらいまでは、老人をみると何故かせつなくて涙があふれて止らなくなりました。しかも不思議なことに自分の祖母に対しては全く涙が出ません。他人でないと涙があふれなかったのです。
「何故だろう?」
と不思議に思ったものですが、小学校5年生の時に、父が単身赴任で実家からいなくなってからは、老人を見ると涙が出てくるという症状は無くなってしまいました。
 そして5年がたち、父が単身赴任から家族の元に戻ってくると、また再び老人を見ると涙が出てくるという症状が復活したのです。これは非常に不思議なことでした。ところが、偶然にも、この不思議な症状の原因を知るきっかけをつかむことができたのです。

 きっかけは、当時中学3年の夏休みに吉川英二の『宮本武蔵』を読んでひどく感動し、全身からあふれるエネルギーの処理に困って山ごもりをした時につかみました。
 最初は喜び勇んで山に入っていった私も、すぐに闇の恐怖、孤独の恐怖に、耐えられなくなりました。特に暗闇が恐くて恐くて仕方がなかった。そんな時、人間というものは本能的に幼児に戻るようで、恐怖を感じるほど、見知らぬ老人の幻想をみるようになり、あまくせつない気持ちになるのです。
 世の中には不思議なことがあるものだと思った私は、下山してからこのことを母親に話してみました。すると母親は私が幼児だったころの話を語りだしました。

「お前は、4歳になるまで、父さんやバアちゃんと別々に暮していたんだよ」

 私の母は小学校の教員でした。そして父と離れて佐渡島の僻地に単身赴任して僻地教育を行っていました。場所は、夕鶴伝説で有名な佐渡郡相川町北片辺というところです。
 今と違って昔は、小学校の教員に育児休暇がありませんでしたから、母は私を産んでから直に教壇にたちました。当時の癖地小学校の教員ときたら、夜の7時頃までサービス残業させられるのが普通でしたから、私は母に育てられるというより、地元の老人たちに育てられました。
 老人たちの多くは、戦争経験者であり苦労人であり、息子を満州に置去りにせざるをえなかった人たちだったために、私はとても可愛がられました。
 ところが4歳になると、弟が生れたために、母は弟と単身赴任することになり、私は、父に引き取られて育てられることになりました。ところが、それまで父や祖母の顔も見たことがなかった私にとって、父や祖母には馴染みにくかったようです。
 しかも運が悪いことに私は難聴でした。しかも難聴であることに父母ともに気がつかなかったために、話を聞いてないという理由で余計な折檻をうけるはめになりました。今まで人に可愛がられたことしか記憶になかった私には、この変化について行けなかったようです。そして、父親が恐ければ恐いほど、幼児だった私は、可愛がってくれた老人たちの顔が浮かんだみたいなのです。
 また、さらに運が悪かったことには、父の折檻が、天井裏の暗闇に閉じ込めるという方法で行われたことです。耳が悪い上に真っ暗なところに閉じ込められた私は、必要以上に暗闇に怯えるようになりました。これがトラウマとなって、

 ・必要以上に暗闇を恐れる
 ・必要以上に父親を恐れる
 ・見知らぬ老人をみると涙がでる

という症状が長く続いたらしい・・・・ということが、わかってきました。すると、不思議なことに自分自身の日常に隠されていた暗黒面にパッと陽がさしたような気がしてきました。そして、なんだか新しく生まれ変ったような気分になり、大地を離陸したような不思議な気持ちになったのです。
【風のひとりごと】
(月刊『風のたより』26号掲載文・2000)

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