ブルーベリー 旅に出たい人へ
  旅人的生活の方法

プライベート

 私は、自由を得るために仕事に熱中したはずなのに、自由に休めなくなってしまいました。そんな馬鹿なと思うかもしれませんが、世の中、一生懸命に仕事をすればするほど自由がなくなってしまうらしいのです。
 例えば、ある仕事をまかされたとします。いろいろ工夫して3倍の能率で仕上げた。つまり1人で3人分の働きをしたとします。そういう能力があると言うことがバレますと、会社は私が休暇をとることに良い顔をしなくなってきます。そして休みづらくなって、せっかく手に入れた自由が無くなってきます。そうなると、何のためにアルバイトになったか、わからなくなり、結果として会社を辞めざるをえなくなってしまいます。
 かといって、不真面目になるわけにもいきません。不真面目では自由が手に入りにくいのです。仕事ができてないと、会社に対してワガママを通しにくいのです。好きな日に休んだり、何ヶ月も旅したりして、もう一度慣れた環境に復帰しようと思ったら、かなり真面目に働かないといけません。

 たかがアルバイト。
 そのたかがアルバイトにも自由が制限されている現実。
 世の中は、そんなに甘いものではありませんでした。

 そうこうしているうちに、私のような旅人の他にも似たような境遇の種族がいることに気がつきました。劇団生、音楽(バンド)活動者、お笑い芸人志願者、司法試験受験者といった、人生に目標をもっている人たち。彼らは私と同じ悩みをかかえていました。そして、一生懸命仕事をし、会社に対して強くなって、自らの手で自由を獲得していました。 そういう人たちは、生き生きしてました。一緒に仕事をしてて楽しかったですし、組んで仕事をしますと、驚くほど能率があがりました。変な気遣いもいりませんでしたし、御互いプライベートも尊重しあえました。そして、なにより会話していて少しも時間の無駄と思うことがなかったのです。目標をもっている人たちの話しは、分野が違っていても、ためになることが多いですし、吸収できるものがいっぱいありました。
 私は、そういう人たちとなら付き合えました。一緒に酒を飲んでも苦になりませんでした。もっている世界の壁を超越して、語り合うことができたのです。それを考えると世の中には、

自分の世界をもってる人間
自分の世界をもってない人間

の2種類がいて、この両者は、住む世界が違うのではないかと思えてきたのです。そして、自分の世界をもってる人間たちは、自分の世界(=プライバシー?)を大切にするのに対し、自分の世界をもってない人間たちは、会社という同じ世界に住まわせたがる傾向があるのです。

 旅人という人種は、自分の世界をもっています。だから会社の人たちが、会社という同じ世界に住むように強制してきますと、どうしてもアレルギー反応がおきてしまいます。場合によっては、会社をやめなければならなくなります。事実、とても気に入ってた仕事だったのに私は会社をやめざるをえませんでした。

 けれど、多くの旅人たちは、会社をやめるほど無茶はしません。どうしても、どこかで妥協しなければなりません。また、たとえ会社を辞めてアルバイト生活をしたとしても、日雇い労働者の世界にさえ同じ世界(会社)に住むように強制してきます。そして、プライベートをめぐっての戦いがはじまってしまいます。

 例えば、こんなことがありました。

 ロッククライミングをやりたいと思った私は、趣味と実益を兼ねて、高いビルからロープで降りるガラス清掃のアルバイトを始めようと思いました。
 この仕事は、危険なだけに高給でした。けれどの面接で「給料は安くていいし、アップしてくれなくてもいいから好きなときに休める自由がほしい」と要求し、そういう条件でも受け入れてくれる会社でアルバイトすることにしました。

 もちろん仕事も一生懸命にやりました。出勤は人より1時間早かったですし、退社も人より1時間遅かった。喜んでサービス残業をしましたし、人より倍働いて誰よりも早く仕事を覚えました。具体的にいうと1年の下積みがないと降りられないロープ作業を3日後に体験していました。
 私の感覚からしますと、御金をもらって遊べる(勉強できる)という意識でしたので、休憩時間も休み時間も返上してロープ作業に熱中し、1年後には他の人の10倍も働くようになりました。10倍という数字は、ガラス清掃の業界では不可能な数字ではなく、腕次第で本当に新人の10倍働けてしまいます。ガラス清掃の生産性は、個人の能力に大きく依存しているのです。

 そうなると会社は、
「給料は安くても休める自由がほしい」
という最初の約束を守ってくれません。なんだかんだと理由をつけて、私を拘束しようとします。具体的にいうと責任者の地位を押し付けてきますし、給料をアップしてきます。しまいには、アルバイトなのに、社会保険にいれたり、20日間も有給をつけてきます。そういうワナをしかけてきます。
 最初は、20日間も有給をもらえると知って大喜びでしたが、20日も有給をもらいますと、こんどは何ヶ月も旅ができなくなります。休暇は年間20日の有給の範囲しか休めなくなっていて、気がついたら身柄が拘束されてしまっています。そして知らない間に会社人間にさせられてしまいます。何のために会社をやめたのかわからなくなってしまいます。
 しばらくは、安定した生活と老後のために我慢してプライベートを返上しましたが、我慢は2〜3ヵ月くらいしか続きませんでした。結局、金と地位と安定よりも、自分の生き方をとらざるをえませんでした。

 どうしてこのような事になったのでしょうか? なぜ、せっかく築きあげた会社での地位を捨てるはめになったのでしょうか? なぜ、会社と妥協できなかったのでしょうか? それは、
『自分の世界』
をもっていたからです。そして自分の世界が会社と対立したために、会社を捨てざるをえなかったのです。

 じゃ、どうすればよいのか?
 自分の世界そのものを仕事にするのが1番です。

 だから私は、即座に行動にうつしてペンションを手に入れ、ユースゲストハウスを開業しましたが、しかし、これは誰にでもできる芸当ではありません。不幸にして、自分の世界そのものを仕事にできなかった場合は、自分の世界は自分で守らなければなりません。
 そのためには、強くなって一生懸命に仕事をし、会社で強い立場を確保しなければなりません。もし、その会社で強い立場になれないのなら、自分の器と会社のバランスがとれていないのですから、いさぎよく退職し、自分が強い立場でいられる会社に入りなおすか、そういう仕事をさがすしかありません。プライベートと自由をまもりたいのなら、見栄も外聞も、多少の収入も放棄して、強くなるしかないのです。

 しかし、このように話すと必ず
「私は強くはなれない」
と反論してくる人がいます。しかし、反論する人間の99パーセントが勘違いしています。このせちがらい今の世の中なら、誰でも簡単に強くなれるのです。どんなドジでも、どんなに才能が無くても強くなれます。
 例えば、出社を1時間早くして職場全体を掃除するだけでいいのです。それを1年間続けたら間違いなく会社に対して強くなれます。こんな簡単なことでよいのです。しかも、それによって損することは有りません。
 1時間はやく出社すれば、電車に座れます。座れれば、本も読めるしプライベートな仕事もできます。職場全体を掃除も、いい運動になって健康に良いし、それによって損することもありません。あまった時間があれば新聞も読めるし、脳もはっきりするから、遅く目覚めた人間より有利に仕事ができます。いいことずくめなのに誰もやりません。
 だからこそ強くなるチャンスは、どの会社にも転がっていると思います。私だって、それだけの手間で、たったの1年で魚河岸の大番頭に出世し、競りまでまかされるようになったことがあります。

 しかし、強くなるより、強くなったあとの対処の方が難しいです。強くなりすぎてはいけません。出世してはいけないのです。でないとプライバシーを失う結果になってしまいます。だから、こちらの方に気をつかわなければなりません。
 そのためには、手柄を全部他人にくれてやる。そして、絶対に謙虚な奴と思われないようにする。「へんな奴」か「かわった奴」と思われるように努力する。
 人間関係も、できるだけ作らないようにする。おかしな奴のふりをしつつ、誰よりも仕事をこなす。そうやって身を隠してもバレてしまうものですが、みえみえでも、シラをきって手柄を他人におしつけなければならない。しかも、厭味を感じさせないように押し付けなければなりません。
 一番よいのは後輩におしつけることです。後輩をジャンジャン引き立ててやれば、自分のプライベートを守りやすいです。同僚だと、どうしても人間関係ができてしまって複雑になるので、後輩におしつけて自分より出世させてしまうのです。うまくいけば、その後輩が自分のプライベートを守ってくれます。

 そして昼休みはできるだけ1人で食事に行き、帰りもみんなと違う電車にする。仮に間違えて上司と一緒の電車になったとしても、挨拶だけはしっかりやっておき、丁重に断った上で電車の中のプライベートを保つようにします。そうしないと毎回お相手するはめになりますから、最初の段階で
「礼儀正しいが無口な奴だ」
と思いこませないと後々苦労するはめになります。

 とうぜんのことながら飲み会も社員旅行もコンパも全部断ります。断りづらかったら金だけ払って断りつづけます。参加もしないのに金を払いつづけたら、そのうち誘ってこなくなります。そうなればしめたものです。プライバシーを獲得するチャンスです。ただ、やりすぎると身の危険が迫ってくるので、そのへんはうまくやらないといけません。
【風のひとりごと】
(月刊『風のたより』32号掲載文・2001)

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