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自立とは何か?

 自立とは何か?
 今回は、このテーマに絞って話しましょう。

 自立したい。
 自立しなさい。
 自立すべきだ。

 こういう言葉を耳にすることは多いと思いますが、
「何から自立すべきか?」
という言葉を聞くことはめったにありません。せいぜいのところ、親から自立しろとか、自分で生活しなさい・・・・くらいの発想しか、想像がつきません。

 しかし、よくよく考えてみれば、これくらい不思議なことはないのです。自立しなければならないと思っているくせに、何から自立しなければならない・・・・という考えはもってなくて、ただ、なんとなく、ぼんやりと自立しなければと思っているだけ。
 だから、自立したつもりでも、まるっきり自立してなくて、ある日、とつぜん愕然としてしまったりする。その良い例が、テレビドラマで有名になった『冬彦さん』です。

 冬彦さんは、一流大学を出て、一流会社に入り、出世コースにのって結婚し、親を養うという、社会的に見れば文句の言いようがない人間になりました。だから世間一般は、そんな冬彦さんを自立した人間として評価します。しかし、テレビドラマを見ていて結末を知っている私たちは、そんな冬彦さんが、本当は少しも自立してないことを知っています。

 先生からほめられようが、
 会社から認められようが、
 世間から仰ぎ見られようが、
 親を大切にしようが、
 冬彦さんは少しも自立してなかった。

 いつも、社会の、世間の、親の手の中に冬彦さんはいた。社会というレールだけを走っていた。そして、知らず知らずのうちに自分で判断する習慣を棄ててしまっていた。まわりにあわせることしかできなくなって自分を無くしてしまっていた。だから悲劇がおきた。自分をコントロールしようとする母親を殺そうとしたのです。

 自立とは何か?
 というより、
 何から自立するのか?

 その点に気づかないと、本当の意味での自立につながっていきません。では、私たちは何から自立すればよいのでしょうか? 親、世間、会社、学校、流行・・・・。いったい何から自立すればよいのでしょうか?

 幸か不幸か、私たちの住んでいる世界は、精巧な機械部品のようになっています。友人が交通事故にあっても、警察と救急車と病院に信頼してまかせられる世界になっている。警官に袖の下をおくらなくてもいいし、救急隊員に賄賂をださなくても、全力で職務を遂行してくれることを知っています。病院だって、よほど運が悪くない限り、最善の処置をしてくれるに違いありません。
 つまり、全ての機関が、精巧な機械仕掛けのように機能しており、最も信頼できる優秀な部品として動いてくれるわけです。だから、この世に身をまかせてしまえば、何の問題もないし、各自が優秀な部品になることが社会で役立つようになってしまっている。そして、そういう部品になりきる事が、一番楽な生き方になってしまうのですが、そこに落とし穴があるのです。

 落とし穴。

 気がついたら落とし穴におちていた。大きな深みにはまってしまっていた。押し流されて生きているうちに、知らず知らず落とし穴にはまってしまう。そういう事はよくあります。そうなると、もう自分では、落とし穴からはい上がることはできなくなる。流されて生きることに馴れてしまっているために、自分一人で、どうやってはい上がってよいかわからなくなってしまっている。だからイジメによって自殺したりする。リストラで首をくくったりする。家庭に居場所がなくて蒸発したりする。
 けれど、流されずに生きてきた人間なら、少々の落とし穴にはビクともしません。どんなに深い落とし穴に落ちても、簡単にはいあがれるからです。学校でイジメられても、会社で窓際においやられても、ビクともしません。なぜなら、学校も会社も簡単にやめることができるからです。
 それができないでいるのは、学校という、会社という、歯車社会から抜け出ることが不安で不安で仕方がないからで、そこからはみだしては生きていけないからです。だから自殺するほどイジメられても、そこから飛び出す勇気はもてない。どんなに辛い思いをしても歯車を外すことが不安でできない。
 しかし、本当に自分が自立していたら、そういう不安は持ちようがないし、ストレスを感じる必要もないのです。それが自立するということの本質です。
 つまり自立とは、押し流されない自分をつくることであり、知らず知らずのうちに機械部品の一部になってしまっている自分を、そこから解放してあげることであり、そのためには、自分が、どういう機械部品になっているのかを確かめなければなりません。
 つまり歯車の世界から一歩退いて旅にでることによって、自分自身を見つめなおす必要がある。つまり自立するために旅が必要であり、読書が必要であり、学問が必要であり、思索が必要なわけです。そこで、おすすめしたいのが『自助論』別名西国立志伝という本です。

 自助論。

 この本は、イギリスが最も偉大だった時代に、多くのイギリスの人々の心を動かした本です。
「天は自ら助くる者を助く」
とスマイルズは言いました。

「外部からの援助は人間を弱くします。自分で自分を助けようとする精神こそ、その人を奮い立たせるのです。よかれと思って援助の手をさしのべても、相手の自立心を失なわせることがあります。保護や抑制も度がすぎると、役に立たない無気力な人間をつくる事になるのです」
(自助論より)

 異論のある人もいるかと思いますが、大切なことは、当時のイギリス国民のほとんどが、この自助論に「なるほど!」と思ったことです。そして、そのイギリス国民が産業革命や議会制民主主義を興し世界で最も栄えていったという事実です。そしてスマイルズの言葉は続きます。

「人は、いつの時代でも、幸福や繁栄は、自分の行動で得られるのではなく、制度の力で得られるものだと信じたがります。だから、制度(法律)さえ変えれば、人間は進歩していくなどという過大評価が当たり前のようにまかりとおってきました。でも、どんなに素晴らしい制度も、怠け者を勤勉にする事はできません。浪費家を倹約家にする事もできません。大酒飲みを酒嫌いにする事もできません」
(自助論より)

 スマイルズは、人間の幸せは、制度や法律には限界があると言っています。政治経済、法律、名誉、社会的地位、世間の評価・・・・。そういうものを軽視するわけではありませんが、それよりも大切なことがあるということです。では、大切なこととは、いったい何でしょうか? 制度や法律より、大切なこととは何でしょうか? 優秀な歯車になることより大切なことが、世の中にはあるのでしょうか?

「すべては人間が自らを、どう支配するかにかかっています。それに比べれば、その人が外部に、どう支配されるかと言う問題は、さほど重要ではありません。例えば暴君に統治された国民は、確かに不幸です。しかし、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間の方が、はるかに奴隷に近いのです」
(自助論より)

 ここに『自立』の意味について書かれてあります。つまり、自分で自分をどう支配するかにかかっているということが大切であり、他人に、どう支配されるかは、大した問題ではないとスマイルズ言っています。
 例えば、暴君に統治された国民は、不幸ではあるが、自分自身に対する無知やエゴイズムや悪徳のとりこになった人間の方が、はるかに奴隷に近いと言っています。
 つまり、他人からの支配より、自分で自分を支配することの方が重要であり、そのことに気をつけなさいと言っているわけですが、その発想が『自立』というものを考える時の基本なのです。

 人が人である限り、必ずと言っていいほど外部に支配されます。政府に支配されます。宗教にも支配されることがあります。会社にも、慣習にも、先輩にも支配される事があるでしょう。それに不満を持つ人は多いことと思います。けれど、自分の内部に不満を持つ人は多くない。
 スマイルズは、自分の内部が、無知やエゴイズムや悪徳に支配されることの方が、問題だと言っているのです。社会を批判し、社会の変革を求めるよりも、自分の心の変革を求めることが重大だと言ってるのです。素晴らしい『心』を持つことが大切だと言ってるのです。そして、その素晴らしい『心』は国の政治体制をも変えうると言っています。
 自立とは、そういう『心』をもつことであり、決して優秀な歯車になることではありません。外部に支配されることを問題にすることでもありません。たとえ政府や、宗教や、会社や、文化慣習に支配されても、びくともしない内面をもつことが、本当の意味での自立することです。

 そこでスマイルズの「自助論」を紹介したいと思います。よかったら、皆さんも御読みになってください。文章はとても解りやすく、具体的で、簡単で、中学生以上の方なら誰でも読めるように書かれています。スマイルズは、どのように、自分自身の心を支配していくかを、具体的に述べています。それは「自助論」の目次を読んだだけで解ると思います。

★三笠書房『知的生きかた文庫』
 「自助論(スマイルズ/竹内均訳)」より

    第1章・自助の精神
    第2章・忍耐
    第3章・好機、再び来らず
    第4章・仕事
    第5章・意志と活力
    第6章・時間の知恵
    第7章・金の知恵
    第8章・自己修養
    第9章・すばらしい出会い
    第10章・人間の器量
【風のひとりごと】
(月刊『風のたより』34号掲載文・2001)

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